うさぎのねどこ

二人の息子育て・忍耐強い自分育てに奮闘中

富士後日談

メンズ3人が無事に戻ってきてひと安心の富士登山
帰宅直後「いろいろありすぎて何から話せばいいか分からない」と
言っていたダンディ氏が、少しずつ当時の様子を語ってくれました
聞き始めは「そんなだったの!?」と憤り、次に「何から何までありがとう」と感涙し
最後は「よく耐えられたな…」ともはやその超人っぷりに
ひたすら驚かされた、ムコパパ奮闘記
いつまでも忘れないよう、ブログに記録しておきます( ´∀`)
長文、身内びいき、ご了承ください


***
日頃から父タケオは思いつきで行動し、周りを振り回す偏屈王
ダンディ氏もある程度は父の性格を把握していて、
それでも今回快く富士登山の話に乗ってくれた訳ですが
このシュウト、はるかにムコさんの想像を超えていたようです


***
タケオが山について機嫌よくあれこれ話すので、
てっきり富士山のことも知り尽くしているのだろうと
ダンディ氏は思っていたようですが、
シャトルバスで五合目に到着し、昼食をとって登り始めた時点から
どうも様子がおかしい
明らかに他の登山客と違う道を行っていて、
同じ道を行くのは、やたら軽装のハイカーさん方ばかり
だいたい山を上ってないし…と、ただ平坦な道を歩いた先に
「ハイキングコース」の表示が!
お義父さん、ここ違うみたいです!と看板を指摘すると、
隊長は「そうかぁ?」と空とぼけ
出鼻をくじかれたshun太は「なんだよ!」と一発目のカンシャクを起こしたそうです
登山の体力を無駄に消耗し、これがのちほどボディーブローのように
重く彼らにのしかかってくることになるとは
このときまだ誰も考えていませんでした


***
行きの岩場は、体の軽いshun太にとっては楽勝だったようで
スイスイ先に登っては、また大人たちのところへ戻ってくる
shun太くんはあれで12合目、13合目相当登ったぞと、
あとでタケオは笑っていました
しかし、この大股で登っていく動作がタケオのもともと悪い膝を傷めたらしく
最後は全く膝が言うことをきかなくなり、
山小屋にたどり着くまでメチャメチャ大変だったとのこと
shun太が余裕をかましてあおりまくるのにタケオがたまりかね、
父子は先に小屋に向かったのだけれど、待てど暮らせど隊長が来ない
ひとつ下の山小屋付近で動けなくなってしまったと連絡を受け
大変だ!と道すがら動けなくなったタケオを探すも見つからず。
あたりが暗くなってきて、さぁどうする!?というところに
山小屋から聞き慣れた高笑いが…
隊長、ちゃっかり下の山小屋でそのまま休憩をとり、
小屋の人と談笑しちゃってた
これにはshun太も「ジジイ!何やってるんだよ!」とおかんむりで
ダンディ氏は息子の言葉遣いをたしなめなければと思いつつ、
shun太の激怒ももっともだ、と思ったそうです
そこからshun太はタケじぃをタケノコ呼ばわり。
若い頃、私が怒りに任せて「このタコオヤジ!」と言い放って
家じゅうを騒然とさせた以来の暴言です
血は争えないね(^-^;


宿泊予定の山小屋まで、脚の利かないタケオを連れていくのはひと苦労でした
一度は斜面を滑落しかけて、ダンディ氏と他の登山客さん、
あと、たまたまあった出っ張りのおかげで何とか食い止められたそうです
もし、そのまま滑落してしまっていたら…。想像するだに恐ろしい


日暮れ前に小屋に入り、仮眠をとって深夜2時過ぎに出掛けるはずが
小屋に着いたのは夜8時。何だかんだで寝たのは夜10時。
「無理はしない」と出発前に私たちに言っていたけど、
事前に準備し、下調べして、やるからには頂上まで登りたい、と
考えていたダンディ氏は、当日の杜撰なあれこれが悔しくて悔しくて、
しばらく寝付けなかったそうです(涙)


でもそこは人格者。
今回はタケオとshun太のサポート役に徹しようと、
考え方を切り替えて、みずから気持ちをラクにしたのだとか


翌朝は山小屋でご来光を拝み、早々に下山を決めたタケオとは別行動に。
山小屋の人に、双方の行動計画や待ち合わせ場所を指導してもらったそうです
山頂を目指す父子に、隊長は自身が持ってきた、
「山頂で楽しむグッズ」を手渡しました
かなりの量で、「リュックにちょっと入らないです…」と
ダンディ氏が控えめに遠慮したけど
「いらないかな?」と威圧ぎみに返され(←たぶん)、
せっかくだから…と一式ひとかかえ持っていくハメに(涙×2)
義父と別れてホッとした(←たぶん)のもつかの間、
昨日はあんなに威勢の良かったshun太が急にトーンダウン
荷物も重いし、帰りの下山&運転もあるので、
余力を残して、本八合目で引き返すことに決めました
タケオから託されたカップラーメンはここで食べていこう、と
これまた託されたコンロを取り出すも、うまく火がつかず、
結局近くの山小屋でお湯を買ったそうです
(ガッカリさせそうだからこのことは隊長には内緒)
一方、荷物も気も軽くなったタケオは、山小屋の人が立ててくれた計画を
両パーティの対抗戦か何かととらえたらしく、
下山中、何度となく父子に連絡を入れて「今どこ?」と訊いてきたのだとか
(一応隊長としての気遣いもあったのか?)
shun太はどんどんグロッキーになり、昨日と一転、
父子は隊長にあおられまくる立場に。
「マイクロバスの順番待ちしてるんだけど、まだ来ないのー?」
連絡がくるたび、2.5人分の荷物を下ろして電話に出るのは
かなり大変だったようです(涙×3)
到着直前、いよいよマイクロバスの順番がぎりぎりになったときは
まずshun太を置いて、全部の荷物を抱えて走り下り
また戻って今度はshun太をおんぶして、ようやくバスに乗ったのだとか…
(このあたりまでダンディ氏の話を聞いて、あまりの申し訳なさに
実娘は「もうやめてー!」と頭を抱えたくなりました)


***
イカーにたどり着いても、ムコさんの受難はまだ終わらない
「登山のあとの温泉」はタケオが言い出して
shun太もすごく楽しみにしていたのだけれど
通い慣れた風だった隊長の道案内が、これまたどうも怪しい
結局、道が分からなくなって、一旦自宅に電話(私が出た)
電話番号をひかえ、問い合わせしながら何とか現地に到着しました
登山口から遠いだけに(!)他のお客も少なく、のんびりと湯につかる男3人
パパムコさん、つかの間の休息…。
風呂から上がると、当然のように瓶入り牛乳がタケオから手渡されたけど
ホント残念なことに、ダンディ実は牛乳が苦手(笑)
それでも好意に応えるべく、チビチビと飲んでいたら
「あとはボクが全部飲むよ」とshun太が引き受けてくれたそうな。
↑この父子のやり取りは、タケオが自宅の母トシイに「ビールと唐揚げを用意して」と
やたら神妙な電話をしているときにコッソリに行われたそうです(笑)


やれやれあとは家に帰るだけ…とハンドルを握るも
「ここまで来たら、大月ICまで出た方がいいんじゃないか?」と
またもや不穏な発言を始める隊長
ここら辺の地理はよく分からないけど、たぶん大月は近くないと思います…と
ダンディ氏が遠慮がちにもの申したけど、タケオは諦めず
甲府は峠越えればすぐだぞ?」
「ブドウ食べ放題だぞ?」とshun太を仲間に巻き込もうと画策
軽いドライブならともかく、富士帰りにブドウ狩りはさすがにムリ(^-^;
クタクタのshun太の賛同も得られなかったので、無事、最寄りの河口湖ICから
中央道に乗りました
談合坂SAで休憩をとるため、何とかそこまではshun太を寝かさずに行きたかったけど
すっかりいつもの調子を取り戻したタケオが、山の話を長々と始めたもんだから
まるで興味のないshun太はほどなく爆睡zzz…
SAに着いてもshun太を残して車を離れるわけに行かず、
するとタケオは「モモ買ってくる」と一人でSA内へ
大月や甲府に誘導したのも、さてはモモが目当てだったのか?
首尾よくモモをゲッツした隊長は機嫌よく「さ、行こうか♪」
もはやヤケ気味のダンディ氏、その後ノンストップで
越谷まで運転して帰ってきたそうです


無事帰宅し、トシイがタケオに言われて用意したエビスビールとイカリング
それからタケオがSAで買ってきた桃で、その労をねぎらわれ、
ダンディ氏はようやくサポート役から解放されましたとさ
めでたしめでたし…


***
あとで話を聞く分にはウケるけど、周りにいる当事者は
たまったもんじゃない。というのは、亡くなった婆ちゃんとソックリ
ダンディ氏もかなり苦労したはずなのに、
当時の様子をゲラゲラと笑いながら話してくれました
偏屈&気まぐれにとことん付き合ってもらって、
娘としてダンディ氏には感謝感謝、そして感謝!です
あちこちでタケオなりの好意や気遣いがちりばめられていたと思いますが
肉親以外には、正直その真意がよく分からないものも多く、
そんな中、よくブチキレずにいられたなと、私にはもう理解不能、超人レベルの寛容さ
次はきっと仙人とかに生まれ変わるに違いない


***
ダンディ氏が今回の話をすると、周りの人は一様に
ダンディshun太父子だけなら登頂成功したのでは、と
口を揃えて言うそうです
確かに、今回つぎ込んだエネルギーを、全て登山に充てられてたら
あるいは上まで行って帰ってこれたかも
まぁ今回、隊長のおかげで要領は飲み込めたようだから
次こそ頂上の景色を見てきてきてほしいものです(^-^;
次は私がサポートするからさぁ…
って、果たして私にできるかなぁ〜