うさぎのねどこ

二人の息子育て・忍耐強い自分育てに奮闘中

明治の男

漱石先生大いに悩む」という小説を今読んでいます。
そこに登場する漱石の書いた(とされる)さまざまな文体の手紙が美しい。
候文のもの、漢文調のもの、言文一致のもの…相手に応じて、それにふさわしい形式で
スラスラと書けるのが明治の人である
そんな箇所で、私の悪癖である寝床de読書がたたり、居眠りをしてしまいました。


惰眠ドリームの始まりです。
でも今日の夢はいつもと様子が違いました。
16年前に亡くなったお爺ちゃんが家に遊びに来たのです。


当時中学生だった私と耳の遠くなった爺ちゃんはお互い「割り引いて」話をしていました
婆ちゃんとのように、本音を言ったり相談したり、マジなケンカをしたりということなく
互いに距離を置いていたのだと思います(お爺ちゃんの元々の性質だったのかも知れませんが)
今となっては、もっとお爺ちゃんから昔のこと、戦争の話、お爺ちゃんのちょっと変わった友達の話
(旅行に誘ったら『オラ新しい靴下ないからなぁ』という理由で断った人)など、
聞いておけばよかったなぁと思うことがいくつもあります。


今回ひょっこり来たお爺ちゃんはお婆ちゃんの病気が心配だったようです。
私は昔のように遠慮することなく、ざっくばらんに、お婆ちゃんは元気だということ、
本人も今回のことで少しは気をつけるようになるんじゃないか…なんてことを報告しました
お爺ちゃんに聞きたいことはいっぱいあったのに、夢の中の私はおしゃべりに夢中で、
お爺ちゃんもソラァよかった…とニコニコと私の話をひたすら聞いてくれているだけでした


しばらくするとお爺ちゃんはよく座っていた縁側に腰をおろし、猫の額の裏庭を眺めていました
私は「お茶菓子を出さなくちゃ」と思い、菓子棚をのぞいたところ、チョコパイしかなく、
お爺ちゃん気に入るかなぁ…それに元々ここに住んでいたのにお客さん扱いされるのイヤかなぁ…
などと考えてるうちに夢からさめました。


目覚めると菓子棚にお誂え向きの「桜大福」があったので、とりあえず縁側に置いてあります
家人にそのことを話すと「もうすぐお彼岸だから」「十七回忌だし」と皆納得していました


ギリギリセーフですが、お爺ちゃんもレッキとした「明治の男」です。
若いうちから年季奉公に入ったので、漱石先生のようにあらゆる文体を書きこなせたかどうかは
分かりませんが、名前に、そして戒名にも「文」の字をいただいているので、小粋な文章を
書いたのではと思っています。
私にもそのチカラが少しは備わっていますように。
…今日は少しオセンチな文章かも。おそまつさま。