うさぎのねどこ

二人の息子育て・忍耐強い自分育てに奮闘中

A friend in need is a friend indeed.

私は昔から、あまり人から相談事をされたことがありません。
周りにいる人の多くが飄々としていて、暗い話をするんだったらバカ話をして
笑いたいタイプだったので、私は立ち直った頃合いを見計らって一緒に大はしゃぎをするのが
自分の役目だと思っていました。
だから、ハタから見て本当にキツそうな人がいても、接し方が分からず戸惑ってしまいます
中学生の頃なんかは仲間割れとか受験とか恋愛とか、悩みのタネは尽きないほどあって、
またその頃はそんな悩みにひたるのが楽しかったりする。誰かが机に突っ伏して、
物分りの良さそうな数人の女子がその子を取り巻いてもっともらしい慰めの言葉を
かけたりしている。
そんなとき私は一体何をしていたのでしょうか。
私も机に突っ伏して…居眠りしていたような気がします。
今でもそうだけどあの頃やたら眠たかった。


そんな風なので、いざ自分が落ち込んだときも人を巻き込むのが嫌で一人ドロ沼に
ずぶずぶと入って行き、気が済むまで潜っている、そんなやり方をしてきました。
気力が弱りだすときはたいてい徐々にその度合いが増していくので、自分でも心積もりが
出来るのですが、今回、婆ちゃんが急に倒れたときは、突然崖から突き落とされたような
珍しいパニック状態になりました。
家族といるときには冷静にしていられたのに、一人になった途端、どうしていいか
分からなくなったのです。
いつものように人を巻き込むのは云々…と考える余裕もなく、無意識に十数年来の友人に
電話をかけていました。
そういえば、初めてフラられて呆然となった時にも一番に連絡したのは彼女でした(多分)
別に激しく同情して、心温まる励ましの言葉をくれるわけではありません。
どちらかというといつもと同じ調子で「フーン、フーン、で?」と話をただ聞くだけなのです
無関心か?と思いつつも、先を促されるので、激情のおもむくまま(恥ずかしい…)
しゃべりまくっていると、次第に荒波が凪いでくるように、またいつものバカ話が
出来るほどに回復するのです。
いきなりだったから慌てたけど、よくあることだよなぁ、と。


悲しいときはその悲しさにひたり、嬉しいときには思いのたけ喜ぶ、それに共鳴して
くれる友人も大切ですが、自分がコントロールできないほど深い感情に負けてしまいそうなとき
彼女のような安定した存在はとてもありがたいです。
…だからといって彼女がいつも落ち着いているというわけでは全然ありません。
一緒にご飯を食べているときに、たまたまダイアナ妃が事故死したというニュースを
耳にしたときは驚くほどショックを受けて「嘘…うそ…」と絶句していました
(彼女とダイアナ妃の関係は不明。恐らく無関係だったと思う)


私も感情の安定をはかり、大事な誰かがいざという時支えられる存在になりたいものです