うさぎのねどこ

二人の息子育て・忍耐強い自分育てに奮闘中

チャンスの神様、髪の毛ボーボー

病後でまだ外出できない婆ちゃんがしきりに気にかけていることがあります。
いつも9:00頃に家の前を通りかかって挨拶していたお爺さんが自分のことを心配してやいないか
というのです。自意識過剰〜。
面倒なので、犬に「うちの婆ちゃん生きてます」の札を首から下げてもらおうかとも思いましたが
よその人に誤解を招きそうなので中止。
もとより暇をもてあます私と犬とで、札ならぬアホ面さげてその好々爺を待ってみることにしました


そういえば、私がまだ高校生の頃、必ず犬の散歩で出会うお兄さんに憧れたことがあります
犬の散歩をしている人は大概オバサンで、自分と同じくらいの年、しかも男性、ということだけで
珍しかったのです。
勝手に「飼い主さん」と名づけていたその憧れの君は、ノーブルな顔立ちでバイオリンとか
弾いちゃいそうな感じ。連れている犬まで気高い雰囲気が漂っていたように記憶しています
大学生になり、犬の散歩をすることもなくなって、その飼い主さんとも会わなくなってしまいました


寒いのを我慢して待ちぼうけてみましたが、結局お婆憧れの好々爺は通りがかりませんでした
「人は会うべきタイミングで会うべき人と会うべき場所で会う!」
口が達者で結構気恥ずかしいことも臆さず断言する友人がこの前言っていました。
多分、「一期一会」の精神にも通ずる(とも思われる)台詞です。
悪口を言われても後で気づいて悔しがるようなスローモーな私は会うべき人と会うべきタイミングで
会ったとしても、その大切さに気づいてこなかったのではないか、と半ば諦めつつ危ぶんでいます


でも、時機を逸しても、心がけ次第で取り返しはつくんじゃないかと思うのです。
寝込んだことで会えなくなったお爺さんとも、また婆ちゃんが元気になって会いたいと
思っていればいつか元のように世間話が出来る日が来ると思いたい。
チャンスの神様には前髪だけじゃなく、えりあしにも毛が生えていてほしい。
そう思わなきゃやってられなくない?